国際大会参加

2004.07.05〜12 於・デトロイト&ウィンザー

 7月5(月)より12日(月)の8日間、上尾ライオンズクラブより13名のメンバーがデトロイト(アメリカ)とウィンザー(カナダ)で開催された第87回国際大会に参加いたしました。大会参加の後はアメリカ東海岸を観光、参加者全員元気に帰国いたしました。写真掲載の後にL.金子幹博の国際大会参加レポートを掲載しましたので、是非、お読みください。


大会会場全景 

 
パレード
ガバナーズナイト&大会風景
アメリカ東海岸を観光
*上記の写真をクリックしてください。

 

  第87回デトロイト、ウインザー国際大会に参加して

                                      金子 幹博

 7月5日(月)から12日(月)まで、上尾LCの13名はL.三角を団長として国際大会に参加しました。デトロイトはアメリカ自動車の発祥の地、ウインザーは川を挟んで隣国カナダの都市で両国共催の大会です。デトロイトはG.M、フォード、クライスラー等の本社か、重要拠点として発展してきたミシガン湖畔、人口80万の都市で、そのうち8割が黒人で市長も黒人です。ウインザーはアメリカ入国の際通過しただけですが、静かな住宅都市といった印象です。
 成田を午後7過ぎに発ち、12時間少々でカナダのトロントまで飛んだ。そこで入国審査の際にL.深山だけ、特別室で色々尋問され時間がかり、皆心配してしまいました。風体が堂々として目だったためでしょうか? 小型飛行機に乗り換え、ウインザーに向かう。
用意されたバスに直ぐ乗り、デトロイト川の橋で今度はアメリカの入国審査。簡単に済むかと思いきや、全員降ろされ、少々時間もかかり長旅の疲れもでてきた。テロの影響で仕方ない。ホテルにつくと真夜中でした。

翌朝8時20分にバスで大会パレードの出発地、コメリカパーク(デトロイト球場)に向かう。河野副幹事がすでに会場に来ていて飲料水を配っていました。パレードは2km位を赤いハッピを着てダウンタウンを2時間近く歩きました。終了地点のコボホール付近はテントを張りパレードの審査席もあって人も賑わっていたが、他は市民参加が少なく寂しいくらいでした。パレード終了後、三角夫人が袢纏を沿道の保育所の幼児にプレゼントし大変喜ばれていた。
午後より9人でゴルフを楽しみましたが、貸しクラブでは上手な人がダメで腕よりクラブだということが実証されました。因みに料金は$20. 夜は330−C地区ガバナーズナイトが60名位の人数で開催され、13名参加した上尾が主役となり熊谷のL.星山の手品とL.若林のスピーチで盛り上がりました。前ガバナーのスピーチ、[人生色々、社会も色々、ライオンズも色々]と言っていたのが面白かったです。

 3日目はジョウ ルイスホールでの式典に参加しましたが、韓国の少年少女の歌と踊り、米国のハイスクールのブラスバンドがムードを盛り上げ楽しかった。フラッグパレードを見てから、前フクシマ国際会長がスピーチをし、市長二人の紹介と挨拶、その後は李会長が原稿も無しで年間事業を全て説明発表していた。司会者無しで全て会長が仕切るのが面白かった。日本のメンバーが一人で約1億3000万円LCIFに寄付し李会長から表彰されていた。お金で貢献する日本を改めて印象付けた。

 午後今回のハイライト、ハリファックスに飛ぶ。トロントで乗り換えのため到着はpm.9頃になった。ホテルに向かう車中大きな夕陽が平原に沈むシーンを皆で楽しんだ.夏時刻なので夜も暗くならないのだ。レストランで晩餐会をし、三角前会長と深山新会長の会長引継ぎも無事なされた。ハリファックスは高級リゾート地といった感じで夜も人通りがあって賑やかでした。

 4日目は世界遺産になっているノバ スコチア地方を見学する。大阪出身のガイド嬢の丁寧な説明でマホーネ、ルーネンベルクと古い町並みを散歩した。それぞれフランス人、ドイツ人の移住者が来た当時のまま保存されている北欧的な、カラフルな家が多かった。また、北米大陸の最東端ペギー岬の風景も素晴らしかった。

 5日目は函館の五稜郭のモデルとなったシタデル、氷山で沈没したタイタニック号の記念館や被災者の墓地を見学し、午後ニューファンド島に飛ぶ.九州と四国を足した面積の島で、セント ジョンズは人口17万とかで霧の多い街でした.夕食はメインがタラ料理で、1万年前の氷河を溶かして造ったウオッカや地ビールを飲み、そして三角会長夫人とL.若林のお喋りと笑いが一杯でした。

 6日目 今日はザトウクジラを見にブルス湾に行く日だ。バスに乗り1時間程で到着する。気温が14度位なので船頭が用意した防寒着を重ね着する.船には我々の外、カナダの高校生50人程が乗船する.外洋まで30分程かかった。思ったほど寒くなく、波も静かで霧も出ない。当にホエールウオッチングには絶好の天気となった.船を停止させ周囲を静かに見渡すうち、船首の左舷11時の方向、凡そ100メートル地点で鯨の背中が黒い鉛筆が横に浮かんでいる感じで発見する。思わず、あそこ!いた!と叫ぶ。そお−と近寄っていくと子供もいる。2頭で遊んでいるようだ。若いガイドが大きな声で鯨に声をかける。高校生も全員でお願いするように声を出す。よく聴くと、鯨よ!尻尾を見せて!と何度も頼んでいる。ある鯨は船に寄ってきて船底を潜りぬける芸を見せた。全部で10回位鯨が見えたと思う.テイルが見えたのは小生は1回でした.鯨の次は海鳥、特に島独特のパピンを観察しに行く。崖に生息し、姿が可愛いく、飛ぶより潜水が上手な鳥で、黒色をし、口と足が黄色でお腹が白い50センチぐらいの体長でした.十分に楽しんだ帰り舟の中で、L.若林は女子校生をモデルのようだと煽てて、始めは嫌がっていたのに終りには女子高生は踊りだすほど仲良くなり、日本の硬貨をあげるなど、船中は思わぬ国際交流の場とかした。
午後はスピア岬とカポット砦、総督館等を見学した。カポット砦からは港全部が見え、外洋も見渡せるまさに絶景かなで石川五右衛門になった気分でした。総督邸では結婚式のカップルと出会い全員飛び入りで、親戚気分で記念写真を撮りました。

 今回の旅は、天気もガイドさんも、素晴らしく本当に最後まで「ついてる旅」となり、最後の帰国日も空から五大湖が見え、カナデアン ロッキーの万年雪の山々も十分見ながら、無事帰国することができました。

 簡単ですが、以上で帰国報告とさせていただきます。